熱海市にある「MOA(エムオーエー)美術館」は、日本美術を中心に美術品を所蔵し、日本文化の情報発信を行っています。
MOA美術館には尾形光琳作国宝「紅白梅図屏風」が所蔵されていることでも有名です。
ここでは、熱海観光の選択肢に考える上での、MOA美術館の見どころや、謎多き人物、尾形光琳やその作品である「紅白梅図屏風」について解説してみたいと思います。
MOA美術館
MOA美術館は昭和57年に開館した、熱海にある、東洋美術の絵画・書跡・工芸を中心に国宝3点、重要文化財66点を含む約3500点の収蔵品を所有する美術館です。
尾形光琳の最高傑作とされる国宝「紅白梅図屏風」(※期間限定公開)は特に名高い作品で、2月の梅の季節に合わせた公開を待つファンも大勢います。
MOA美術館は7万坪に及ぶ熱海の高台の敷地に建てられ、メインロビーやムア広場からは伊豆大島や初島など、とても美しい眺望が広がります。
施設内には、春には桜やツツジ、初夏には新緑、秋には紅葉と四季折々に違った姿を見せる庭園も完備されていて、アートと自然を堪能しながらゆっくりと過ごすことができます。
住所 | 〒413-8511 静岡県熱海市桃山町26-2 |
電話番号 | 0557-84-2511(MOA美術館) |
営業時間 | 9:30~16:30(入館は16:00迄) |
定休 | 毎週木曜日・展示替日 ※特別開館日あり |
料金 | 大人1600円・大高生1000円・小中生無料 シニア割引1400円・障害者割引800円 |
駐車場 | 200台 駐車料金:無料 |
アクセス | JR熱海駅よりMOA美術館方面行きバスにて約10分→終点・MOA下車 |
メインロビー
海抜260mにある1階・2階吹抜けの大展望室で、幅32m・高さ8mある全面ガラス張りの開放的なロビーからは、相模灘を見おろし、右手に魚見岬・網代岬・伊東岬が連なり、左手に真鶴岬・三浦半島、そして房総半島までもみることができます。
相模灘の中央には初島が浮かんで見え、その先に伊豆大島があります。
本館
MOA美術館の本館は3階建てで、1・2階に計6室の展示室があります。
展示棟とロビー棟が連絡ブリッジを挟み左右に連なっています。
緑豊かな周囲の環境と調和を考えて、外観はシンプルなデザインで、外壁は格調の高さを引き出すためにインド産砂岩の割肌仕上げとしています。
建築業協会賞を受賞しています。
エスカレーター
エントランスから美術館本館まで約60mの高低差があり、総延長200mにおよぶ7基のエスカレーターが設置されています。
壁面や天井は照明が変化し、色彩のグラデーションが楽しめます。
エスカレーターの途中に直径約20mの円形ホールがあります。
エスカレーターは、自然環境に配慮して、山の斜面を上から掘り下げて通路を設置し、完成後に土を盛り木を植え、元通りの山に復原したものです。
円形ホール
巨大なドーム型の円形ホールでは、依田満・百合子夫妻の万華鏡が映写されています。
依田満・百合子夫妻は世界最大の万華鏡フェスティバル「ブリュースター・カレイドスコープ・ソサイエティ」で、日本人としてはじめて2年連続グランプリ(2005、2006)を獲得した方々です。
円形ドーム一面にマッピングされた万華鏡(直径約20m、高さ約10m)は日本最大で、作曲家・中村由利子氏がこの万華鏡のために新たに制作した音楽といっしょにたのしめるようになっています。
壁はイタリア産の大理石をメインに使用し、床は、イタリア、ポルトガル、インド、イラン、キューバ、ギリシアの6カ国10種類の大理石を幾何学模様に組み合わせています。
大理石のいたるところで化石を見ることもできます。
ムア スクエア
本館前の海抜約250mに位置する相模灘を望む広場です。
20世紀を代表するイギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアの「王と王妃」が設置されています。
4月初旬、満開の桜越しに眺める海は絶景で人気となっています。
茶の庭
茶の庭には、茶室「一白庵」、茶室「樵亭」、「光琳屋敷」(復元)、「片桐門」や石造美術品が点在しています。
植栽が美しく、新緑、紅葉とそれぞれの季節の風情を楽しむことができます。
茶室「一白庵」は、創立者の岡田茂吉の生誕百年を記念して建てられた茶室です。
茶室「樵亭」は、備前池田藩の筆頭家老であった伊木忠澄が、晩年三猿斎と号し、茶の湯三昧の余生を送り、岡山の荒手屋敷に設けた20に余る茶室のうち、「大爐の間」と呼ばれた茶席を移築したものです。
「光琳屋敷」(復元)は、江戸時代に琳派を大成した尾形光琳が、自ら設計し生活した晩年の京都における屋敷を、史料に基づいて復元したものです。
「片桐門」は、豊臣家の重臣であった片桐且元が、薬師寺の普請奉行をつとめた際の宿舎の正門です。
能楽堂
優れた伝統芸能を紹介する目的で設置したもので、座席数501席あります。
屋根は檜皮葺(ひわだぶき)の入母屋(いりもや)造りで、舞台は総檜造り、鏡板は日本画家・松野秀世氏が描いたものです。
観世、宝生、金春、喜多、金剛の諸流による定期的な演能会を開催しています。
また、目付柱やワキ柱は脱着可能な仕組みで、音楽会や美術講座等の講演会も開催でき、同時通訳の設備もあるため、国際会議にも利用できるように設計されています。
黄金の茶室
天正14年(1586)正月、正親町天皇に茶を献じるため、豊臣秀吉が京都御所内の小御所に組立式の黄金の茶室を運び、黄金の道具を使い茶会を開いたという史実に基づき復元されたものです。
秀吉は、天正15年の北野茶会でもこの黄金の茶室を用い、天正20年の朝鮮出兵で肥前名護屋に出陣した折にも黄金の茶室を大阪から運ばせ茶の湯を行ったことが知られています。
この黄金の茶室は大阪城落城とともに消滅したと考えられています。
その黄金の絢爛豪華さと閑寂な侘数寄の対照的な桃山時代の美意識を堪能してください。
MOA美術館の近隣観光スポット
來宮神社と大楠
奈良時代、漁夫の網にかかった木像を祀ったのがこの来宮神社の始まりといわれており、全国でも珍しい「禁酒の神様」です。
來宮神社の御神木の「大楠」は、樹齢約2000年で周囲24m(全国第2位)の太さを誇っており、国の天然記念物に指定されています。
大楠の周りを1周すると寿命が1年延びるといわれ、パワースポットとしても人気があります。
例大祭が毎年7月14・15・16日に行われ、観光祭である熱海こがし祭り山車コンクールも併せて開催されます。
熱海サンビーチ
青い海と白い砂浜、立ち並ぶホテル、ヤシの並木通り、外国の高級リゾートに似た雰囲気のビーチです。
夏は海水浴場としてファミリーやカップルにも人気のスポットです。
朝は、水平線からのぼる朝日がビーチや街を染める美しい景色を見ることができ、夜は、世界的な照明デザイナー石井幹子氏が手がけた日本初のビーチのライトアップも毎日行われ、幻想的なムーンライトビーチを楽しむことができます。
熱海城
熱海城は海抜120メートルにあります。
錦ヶ浦を脚下に控えた天与の要塞地にあり、築城には最適の地とされています。
戦国時代、小田原北条氏の歴代の名将たちも築城を望んでいましたが結局築くことはできませんでした
熱海城天守閣は桃山時代の慶長初期の様式にのっとり、外装5層、内部9階の高層建築で昭和34年に観光目的で築城されました。
天守閣からの眺めは素晴しく、海・山・島・等360度の眺望が楽しめます。
テレビや映画、熱海市のホームページなどの、熱海市の全景を映す場合は、ほとんどが熱海城天守閣からの風景です。
内部は、甲胄武具・刀剣などが展示されている「武家文化資料館」、日本のお城に関する様々な展示がされている「日本城郭資料館」など、各階ごとに楽しめるようになっています。
また、3月~4月にかけては「桜の名所」ととしても有名で、200本余りの桜が咲き乱れ大変華やかです。
伊豆山神社
伊豆山神社は、箱根神社とともに二所権現と呼ばれる古社として有名です。
祭神は火牟須比命・伊邪那伎命・伊邪那美命。
源頼朝が源氏の再興を祈願したことから、源氏の守護神としても知られています。
また、鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝と北条政子の恋の舞台として有名で、この場所で忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様としても親しまれています。
強運守護のほか、縁結びや恋愛成就の神様として人気があります。
実は、伊豆山神社は本殿からさらに山道を登り「本宮社」まで行ってこそが本当の参拝といわており、参拝路には、病気平癒・厄難消除の神様で、強いパワースポットとして知られる「白山神社」、訪れたふたりは必ず結ばれるという「結明神本社」があります。
アタミロープウェイ
熱海後楽園バス停のすぐ前、山麓駅から約3分間の空中散歩、ゴンドラは全面ガラス張りのシースルーです。
ゴンドラを降りると、熱海随一の展望台、八幡山山頂に到着します。
山頂にあがると熱海市街はもちろん、天気の良い日には東は房総半島や三浦三崎、南に目を向けると手前に初島、遙か太平洋の彼方には伊豆大島も望めます。
夜は百万ドルの夜景と呼ばれる熱海市街を眼下に見渡すことができます。
うみそらテラスには「あいじょう岬」のモニュメントがあり、多くの恋人たちが二人の思いを絵馬に託し、その絵馬は大晦日に来宮神社に奉納されます。
アイスクリームが人気の売店も注目です。
尾形光琳と国宝「紅白梅図屏風」
尾形光琳
1658〜1716 (万治元年〜享保元年)
俵屋宗達、酒井包一と並んで琳派を代表する画家です。
京都の呉服商「雁金屋(かりがねや)」の当主、尾形宗謙の次男として誕生しました。
父・尾形宗謙から影響を受け、少年時代からは能楽、茶道、書道、日中の古典文学などを学んでいたとされています。
また、尾形光琳は趣味の1つとして狩野派の流れをくむ絵師・山本素軒に師事していたとされています。
父・尾形宗謙が亡くなった後は、呉服商「雁金屋」は長男が継承し、光琳は分けてもらった遺産で遊びほうけます。
尾形光琳は遊び人で遊興三昧の日々を送り、弟・尾形乾山から借金をするなど、お金にだらしない生活を送っていました。
遺産を使い果たした40代になって、ちょうどそのころお兄さんが継いだ雁金屋も大名への金貸し業で貸し倒れが多発して倒産とし、生活は困窮したといいます。
尾形光琳は、40代になった頃にようやく画業に身を入れ始めたとされています。
もともと絵画制作を行っていた尾形光琳は、元禄14年(1701年)の44歳の時には法橋の位を与えられました。
尾形光琳が絵師として活躍したのは、法橋を与えられた44歳以後から亡くなるまでの十数年間程度と考えられています。
尾形光琳は、高級ブランドの呉服屋に生まれたこと、放蕩三昧の時に良い品を見る機会に恵まれたことから、絵画のほか染め物や工芸のデザインなどの知識も豊富だったと言われています。
陶工の尾形乾山は光琳の弟で、兄弟合作の作品も多く残っています。
享保元年(1716年)7月20日、尾形光琳は59歳で生涯を閉じました。
代表作に「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」「八橋蒔絵硯箱」などがあります。
紅白梅図屏風
尾形光琳の晩年期の傑作と言われてる国宝です。
2曲1双の屏風の金箔地中央に、工芸模様的ないぶし銀の水流、その左右に写実味豊かな白梅・紅梅を対立させ、緊張感に満ちた画面を構成しています。
流れを挟んで向かいあう紅梅と白梅、金地に対して流れを銀地とし、紅白の梅を左右に配すという際立った対照による大胆な構図、装飾性を追求した琳派様式の一到達点を示すとされています。
この紅白梅図にはいろいろな解釈があるとされ、謎ともされています。
それだけ唯我独尊の才能だったということでしょうか。
切手のデザインとしても図案化されているために幅広い層に人気がある作品です。
そこまで古いものではないので高価な訳ではありませんが、身近に感じることができる芸術とも言えます。
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まとめ
いかがでしたか?
尾形光琳は謎がまだまだ多い人物で、紅白梅図屏風にも謎を解説している方が多くいます。
大胆な構図や、細かいセンスが人を探求心の世界に導いてくのでしょう。
もし機会に恵まれて「紅白梅図屏風」を実際に見る機会があれば、琳派の大傑作の謎を考えてみるのも面白いかもしれません。